太平洋戦争中、国内各地に約130の捕虜収容所が造られた。3万5千人を超える外国人が過酷な労働を強いられ、約1割が死亡していたことはあまり知られていない。収容所で何があったのか。戦後75年を機に、調査を続けてきた市民団体が事典の出版を計画している。(編集委員・豊秀一)
「捕虜収容所・抑留所事典」(仮称)の出版を計画しているのは、2002年から戦争捕虜(Prisoner of war)の調査を続ける市民団体「POW研究会」。国会図書館に足を運んで連合国軍総司令部(GHQ)の資料を調査。元捕虜の回顧録を収集するほか実際に海外に訪ねたり、収容所関係者にインタビューしたりするなどして収容所の実態を調べてきた。
同会によると、戦時中、連合国軍の捕虜たちが工場や鉱山・炭鉱などに送られ、1割近い約3500人が死亡した。同会共同代表だった福林徹さん(故人)がGHQ資料から死亡者リストを発掘して、その全体像が明らかになった。2004年に収容所ごとのリストを同会HPで公開すると、海外から100通を超えるメールの問い合わせがあったという。来日した元捕虜や家族への情報提供、収容所跡への案内なども行ってきた。
同会は捕虜収容所をはじめ、民間の英米系外国人を抑留した二十数カ所の抑留所ごとに、開設から閉鎖に至る経緯や捕虜の構成、食事を含めた生活・労働の様子、戦犯裁判の結果などを調べ、事典に掲載する。
二十数人が分担して執筆を続けているが、職業は元教師や大学院生、元銀行員、元新聞記者など様々。執筆にはそれぞれの思いが込められている。
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共同代表で元放送作家の笹本妙…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル